アロマセラピーの歴史

古代~アロマセラピー生い立ち

人類と芳香植物との関わりは有史以前までさかのぼります。ヨーロッパ、イスラム世界では昔から祭祀・儀礼・治療・美容に用いられ、人間の健康をになっていました。
古代エジプト
薫香
B.C3000年頃に建国された古代文明発祥の地であるエジプトでは、香りは神への捧げ物として用いられてきました。 薫香【くんこう】は悪魔払いに使われたり、病気治したり、性交の後にも使われました。ラテン語の”Perfume(芳香)”は”Per=throgh(~を通す)と”fume=to smoke(煙を出す)”から来ています。これからも香りの起源が、木や葉などを燃やして空に立ち昇った煙とともに香りをかいだ薫香だということが分かります。
神に薫香を捧げる事への重要さ
エジプトの人々は太陽神Ra(ラー)に、香煙(こうえん)に乗って魂が天国に導かれるように祈りの儀式を捧げてました。時刻によって焚かれるのもは異なっていました。朝は日の出とともにフランキンセンス(乳香)が焚かれ、正午にはミルラ(投薬) が焚かれました。また、日の沈むときにはキフィ(キピともいいます)と呼ばれる16種類の香りをブレンドした物で、人を寝付かせ、不安を鎮め、楽しい夢を見させたといいます。旧約聖書に出てくるバベルの塔では、僧侶達が香りの山から降りてきます。香りはまず神に捧げられ、次いで僧侶、支配者達が使うことを許され、続いて側近達、そして民衆へと広がっていったのです。
軟膏と香油
エジプトでは、香りを楽しむだけでなく照りつける太陽による乾燥から皮膚を守るためにも、香油は大量に使われていました(入浴後に香油をつけていました)。エジプト産のユリ油が入っている「サクディ」は珍重され、「メンデシウム」と呼ばれる香油にはバラノス油(ホースラディツリーの実の油)とミルラやフランキンセンスが入っていました。
ミイラ作り
シダーウッド・ニッキ・ミルラをミイラ作りの防腐剤として使用
クレオパトラについて
香りの力を実にうまく利用していたようだということです。例えば、彼女はバラの花が好きでした。室内に厚さ46cmもバラの花びらを敷き詰めていました。そして、動物性香料の麝香【じゃこう:ムスク】、霊猫香もお気に入りだったようです。これらの動物性香料はセクシーで後々まで残る香りです。
・中国
紀元前2000年頃、中国の医学書「皇帝内経」が記述された。2~3世紀の漢の時代には「神農本草経」という薬物をまとめたもの(今の漢方の原型になっている)
・新約聖書の逸話
新約聖書の中に、イエスキリストの誕生物語には、東方の三賢人がイエス誕生の馬小屋で「黄金・乳香・没薬」を捧げたというエピソードが記されてる。(黄金=王、乳香・没薬=神の薬)

古代ローマとヘレニズム文化

東西のハーブ、スパイスが盛んに取引
アレキサンダー大王の東方遠征により、西からギリシャ、エジプト、東から中央アジア、インド北西部まで広大な世界帝国を築いた。それにより、東西の文化交流の場が開かれ、ヘレニズム文化と呼ばれる世界文化が開花し、東西のハーブ、スパイスも盛んに取引されるようになった。
香油の使用
ローマ皇帝ネロにより、火災防止の為、公衆浴場が発展し、カラカラ浴場で衛生の為、浴場内で「香油」を塗布していた。皇帝ネロもバラ好きで香油を塗ったり香りをたいたりしていた。
植物誌
 アリストテレスの弟子テオフラストスは植物の分類の研究をまとめた本をだす
「医学の祖」ヒポクラテス医師
芳香風呂の効用や伝染病予防への利用等の記録を残す
マテリア・メディカ(薬物誌)
アジア系ギリシャ医師のディオスコリデスは、600種類の植物を含む1,000項目の薬物を利尿・下剤等、薬理・機能から分類した薬物誌を著す。
医師ガレノス
コールドクリーム製剤法の創始者。(現在の軟膏)。彼は薬草の知識を元に薬を調整した

ヨーロッパ中世・近代

ローマ帝国時代に培われた自然療法の知識は修道院に受けつげられ、あるいはイスラム世界へと伝わる。芳香植物は古代において薫香や浸剤として使用されていたが、この時代は精油の蒸留が錬金術と呼ばれる技術の中で完成する。
バラ水
アラブ人のイブン・しーな(980~1037年、医者・科学者・哲学者)は卑金属(金以外の金属)から金を作るという錬金術の過程の一部で、バラを用いていたところ、バラから精油とバラ水(フローラルフォーター)が採れることを発見しました。バラ水は十字軍によってヨーロッパに伝えられましたが、バラ水のほかにもサンダルウッドや高価なスパイスなどが持ち帰られました。
十字軍の遠征(AD1070~AD1291)と東西文化の交流
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教、この3つの宗教共通の聖地がエルサレムである。この地の奪還を目的に十字軍を派遣。それにより地中海世界の文化交流が促され、東西のハーブや薬草、アラビア医学や精油蒸留法がヨーロッパへ渡った。
ハンガリーウォーター(ハンガリアン香水)
ハンガリー王妃は晩年に手足が痛む病気になった。修道院の僧がローズマリー等を主体とした痛み止め薬を献上すると、痛みが消えて、また隣国のポーランドの王子が70歳を超えた彼女に求婚した事から、若返りの水として知られている。1370年にはエリザベス女王にも捧げられています。
ケルンの水
17C末、イタリア人の理髪師フェミニスがドイツ・ケルンへ移住。ここで「オーアドミラブル(すばらしい水)」を販売した事から場所の名前をとってケルンの水と呼ばれ有名になった。
これは世界最古の香水でフランス語読みに「オー・デ・コロン」に変わり1742年に商標登録された。
ロココ人形の香水ビン(17世紀)
17世紀になって、香りの抽出のためにアルコールの使用が普及すると、香水が上流階級で流行しました。常時持ち歩くために小型の香水ビンが必要になり、金銀・陶磁器・ガラスで自分専用の美しく豪華なビンを名工に作らせました。やがて、あこがれの硬質の陶器が広がってゆくと、それでビンを作ることになりますが、陶彫職人は人物像や動物像を作成するのが得意だったので、必然的に香水ビンも宮廷の雅やかな生活を表すロココ調の人形となりました。
ペストの流行(17世紀)
イギリスでペストが大流行しました。ペスト患者を出した家族は皆外出が禁止され、座して死を待つしかありませんでした。香水を作る工場で働く人々はペストにかかりづらかったと言われています。 ドイツのカルペッパーは「香水は確かに複合した薬物である。これは熱しないで、心に影響を及ぼし、あらゆる悪臭を取り除き、私たちを取り巻く空気中の感染源を除去する」と言っています。

近代~現代

化学技術の発展
19世紀に入り、有効成分が分離精製できるようになると、化学工業の技術発達から、植物の組成成分を合成できるようになり、植物以外からも薬が誕生していった。
アロマセラピーの誕生
フランスの化学者ルネ・モーリス・ガットフォセが実験中の事故で火傷を負い、ラベンダーの精油が治療に役立った事から精油の治療効果の研究に没頭した。1937年、研究をまとめた著書「Aromatherapy」を出版し、アロマセラピーという造語を命名した。
ジャン・バルネ博士
フランスの軍医。第二次世界大戦やインドシナ戦争に従軍した際、負傷した兵士を精油から作った芳香剤で手当てをし驚くべき効果を実感。彼は医療の分野でアロマセラピーを研究。1964年「Aromatherapie」という著書を出し、彼の功績によってフランスでは精油を薬として用いる方法が研究され始めた。
学術研究の功績
1920~1930年代にかけ、イタリアの医師ガッテイ、カヨラがそれぞれの精油の心理作用とスキンケアへの応用を研究。ミラノの植物誘導体研究所長のパオロ・ロベステイはオレンジ・ベルガモット・レモンといった柑橘系の精油に神経症やうつに効果がある事を発見した。香りの研究による精神科の臨床例はこれが最初と言われてる。
東邦大学名誉教授鳥居鎮夫博士の研究でCNV派と呼ばれる特殊な脳波を用い、ラベンダーやジャスミンなどの精油の鎮静作用や高揚作用を研究

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